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茶道


《茶道》裏千家 行之行薹子 授教 今日庵

許状と、私の茶道の師匠である塩月弥栄子先生からいただいた
お扇子と帛紗です。
      


「ごきげんよう・・・クミコ・・ちゃん♪」と、「クミコ」と「ちゃん」の間を少し開けて・・・
気品のあるかわいらしい笑顔を、いつも私に向けてくださいました・・・弥栄子先生

『塩月弥栄子先生』は、私が、人生で最も影響を受けた方です!

時代劇も多く、格式の高いマナーが必要な役柄が多いこともあり、私は茶道を習い始めました。
「裏千家 麹町.今日庵」でお稽古を始めて一ヶ月が過ぎた頃・・・  

「今日庵」の扉をあけると、普段にはないざわついた雰囲気がありました。
「日高さん!弥栄子先生がいらっしゃったの!貴方を呼んでいるから、ご挨拶をしていらっしゃい!お扇子持をって・・・ご挨拶できるわね・・・」

「弥栄子先生・・・ご機嫌よろしゅうございます。」
「あら!クミコ..ちゃん!ごきげんよう・・・わたくしが、貴方をお預かりするって、申し出たのよ♪」

その日から、幸運にも・・・
弥栄子先生は私の茶道の先生になりました!
「一度貴女の楽屋に遊びにいかなくちゃね♪」

その後は、折々の「会」に、ご招待いただいたり、ご一緒したり、何かとお声かけして頂きました。
・・・それは、いつも!それまでの私の人生では経験出来ない様な「場」でございました。私は内心ドギマギオロオロしていたのですが・・・
そんな私に、先生は・・・
「貴方は、何も飾ることはないの!素のままで《居て》ださればいいのよ!クミコ..ちゃんは私の自慢なのよ♪と、
いつも、云ってくださいました。
弥栄子先生のこの言葉は今も私の心の支えになっています!

そして・・・
弥栄子先生の包むような優しさや思いやり・・・
気品ある仕草の一つ一つ・・・
恵まれてはいても、
一般家庭に育った私には、とても足元にも及びませんが、今も事あるごと思い出し、女性として、私の心の教科書に、なっています。
そして・・・
舞台.「羅生門」を公演したときも・・・
弥栄子先生の近しい方々が、観に来てくださいました。
先生亡き後も・・・
亀戸天神(2016年)藤祭りで奉納三味線をお願いされたときも・・・早くから、私の出番を待っていてくださいましたのは
先生のご友人・・・「激しいお三味線と、聞いていたので、骨が折れてしまわないか心配したけど・・・
クミコちゃん素晴らしかったわよ!」

・・・今、私がつくづく感じる事は・・・
茶道も、日舞も・・・直接には、
仕事の関わりではないのですが、
その関わりを大事に思い誠実に向き合っていた時、
そこから広がる、人間関係の輪が、何十年もの時間を掛けて、周り回ってその時点では思いもよらない所から、今、
私に大きなチャンスを与えてくれていることに気づく事があります。
・・・それは、私が人生の後半に足を踏み入れたと、言う事だからなのでしょうか・・・。
塩月弥栄子先生
ありがとうございます。
大好きでした。