日高久美子 Official Web Site  

 

                           


舞 台は、デビュー前に一般公募で出演した小劇場での経験しかなく、商業演劇の舞台は、仕事を始めて半年程過ぎた時に、主役の恋仇役で出演するチャンスがやっ てきました。その時に共演し、演技のアドバイスから舞台ならでわの仕来りまで、いろいろと教えていただいた、舞台には欠かせない女優、通称『佐山のお母さん』に対する信頼が、「一から俳優の勉強を教わりたい」に変化したのは、仕事を続けていく中で、自然の流れだったように思います。何をするにも他人の何倍 も時間のかかる私に、いつも忍耐強く付き合って、
『私も不器用だから、よく分るの・・・。教えているのではなくて、一緒に勉強しているから、いいのよ』と、お母さん。
 その言葉通り、トレーニングは、まるで滞っていた神経がゆっくり延びて、体の隅々までエネルギーが染み渡るように私の芝居を『柔軟』にしてくれるもので した。朝食を済ますと、そのままお母さんの所へ行き、終電の時間まで「アイウエオ」の発声と「早口言葉」から始まり、「ういろう売り」「朗読」「シナリオ 練習」etc。もちろんその間には、食事をしたり、<※食事は毎日お母さんの美味しい手作りで!>、雨の日も風の日も、嵐に飛ばされそうな時も・・・、毎日々 々。仕事から帰るのは、佐山さん宅。最終で自宅へ。そしてある時・・・。
『私は俳優の立場でしか教えられないから、演出家の目でアドバイスをしていただきましょう』と、連れて行かれたのはテレビ局の応接室。緊張しながらしばら く待っていると、現れたその男性(ヒト)は、帽子にサングラス、たばこ、そして大柄! でも・・・少し若い?
 かつて私が想像していた、映画監督のイメージ通りのその男性(ヒト)は、(まさか、まさか・・・!『巨匠 黒澤明!?』)その風貌に驚きを隠せずに立ちつくしたままでいる私に・・・;、
『やあ! お待たせしましたね』とサングラスをはずしたその目は優しく、慈愛にあふれていました。それが涌井先生と初めて会った時の印象です。それから は、午前中お母さんと基礎トレーニングをして、午後は時間のある限り、台本を手に実演練習を先生に見ていただく、という日課になりました。それは気がつい たら三年以上にわたり続きました。
お母さんは、
『よく、頑張ったわね』と、言って下さいますが、実はそれは、大きな感違い!私にはとても楽しく充実した日々で、『頑張る』とか『努力した』という言葉は決して当てはまりません。
そこには、『信頼』と『夢中になれる環境』が在ったからだと断言できます!
 その後〔涌井オフィス〕で企画した『羅生門』の舞台化で、私は真砂(黒澤映画では京マチコさんが演じている)役を演じることになりました。
私にとって、出会いも含めて、何にものにも代えられない、女優人生の大きな財産になったのです。
 私が誰よりもこのホームページを見せたかった!!!!
 そして、誰よりも楽しみにしていてくれていた『佐山のお母さん』
「いつでも帰ってくればいいのょ、ここは貴方の実家なんだから」と、言ってくれていた・・・;、
     佐山禮子様
   2002年6月9日 AM12時28分 永眠されました。
 ご葬儀、初七日、四十九日を終えた後、初めて分かったことが有りました。 それは私と同じようにお母さんを慕っていた人達、素敵な仲間…、と云うより、お母さんが残してくれた姉妹兄弟!
 私はこの出会いを大切にしていきたい。 たくさんの愛情をありがとうございました。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。