日高久美子 Official Web Site  

 

                           


プ ロデューサーでもあり、ヴォイストレーナーとしても業界では知られた存在の、その先生の所には、デビュー前の新人はもちろん、今も活躍している大御所の歌 手が来たり、ミュージカルに出演する俳優が楽曲のレッスンを受けに来るのです。つまりそこには、歌に関してプロ中のプロが出入りしている所でありまし て・・・。
 エッ! 私? ・・・わたくしは、・・・何を隠そう、そんじょそこらではお目にかかれない程、ド・下手(注 その頃は!)
 そしてレッスン初日・・・、
「ド〜れ〜〜ミ〜♪ふぁ〜あ゛〜ア〜・・・あ゛!?」
『・・・』
 そんな私が、なぜプロ中のプロの所へいくことになったのかと申しますと・・・、
 オリジナル脚本『森の石松』の舞台が決まって、石松の恋人役で、なんと劇中歌を唄うことになったのです。そして・・・、「舞台で唄えるようになれ! できない時には、君と心中だ!」と、おもむろに紹介状を差し出すプロデューサー。
(ゲゲゲッ! 心中は、イヤッ!・・・コリゃ、たいへん)私は、その足でスタジオに飛んで行き、その日から朝な夕な押しかけ・・・、
「先生! レッスン、レッスン!」と、襲いかかり、不在の時にはその事務所に居るマネージャーを脅迫し、スタジオを占領、自主トレに励んでいた・・・。
 ある日、
『最近、君の発声が耳についちゃって正しい音程が分らないんだょ・・・。特に君の後の人はすごく上手に聞こえて練習にならないんだょ・・・』と、すっかりお疲れ気味の先生・・・。それから、またしばらくすると・・・
『・・・耳鼻科に行ってこようかナー、君の歌が、なんだか・・・良く・・・聞こえるんだ・・・。』
もちろん! 私は先生の耳を信じ、すぐに『良くなった歌』をテープに録音し、今も大切に保存してあります。
 それは、どんなに落ち込んでいる時でもそのテープを聞けば絶対に笑えるテープとして・・・。
(やっぱり、先生の耳は病んでいたのネ・・・)
 そして私は、(音響さんの高度な技術と心やさしい御努力もあり)本当に楽しく、毎日のびのびと、『良くなった(・・・と、思い込んで)』歌を唄い続け、一ヶ月の舞台を無事に終えました。
(人は、一人では生きられないってことですネ・・・。)
 すっかり唄うことが楽しくなった私は、その後空いている録音室を借りて、ほとんど毎日、自主練習を続け(その超防音装置完備の部屋は、隣でレッスンをし ている人には聞こえないので安心です・・・。先生の耳にも安心です!)、そして三年が過ぎ、先日、度胸試しに飛び入り参加した町のカラオケ大会で、この私が賞 を! そしてまた別の日、調子良く唄っていたら、「今度、歌をちゃんと聴かせて下さい」って! 名刺には、大手レコード会社チーフプロデューサーですっ て!(・・・でも、ちゃんと歌を聴かせたら、下手かも・・・)心配事は尽きないのですが、後日談は、日々作られる新たな≪SAYAずっこけエピソード≫として、ご 報告できれば・・・と、思います。
・・・実はこの『チーフプロデューサー氏』との出会いも、私のオオボケが始まり? かもしれません。私って・・・;、 テキパキとした、しっかり者のはずナノニ・・・!
難波先生には、今も空いている時にスタジオを開放していただいています。
 ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。